富士山を愛でる書物や文献から富士山の歴史にせまる!

日本で一番古い、富士山が登場する文学作品をご存じですか。
それは、わが国最古の歌集でもある「万葉集」だといわれています。富士山を詠んだ歌が11首あり、中でも山部赤人の「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」という歌は、小倉百人一首などにも納められたこともあり、よく知られています。

日本の古い物語の中にも、富士山は多く登場します。富士山は、それ自体が物語の舞台にこそなっていないものの、物語の中で大変重要な要素としてたびたび現れます。

その1つに、平安時代の「伊勢物語」があります。
この本には、在原業平とおぼしき主人公の恋や友情が描かれていますが、その中に、主人公の男が東国を旅するなかで、富士山を見て描写する場面があります。
文章の中で、主人公は富士山が五月の末(旧暦では夏)であるにもかかわらず、山頂に雪があることに驚き、「富士山は時節を知らない山だなぁ。いったい今をいつだと思って、このような鹿かの子こまだらに雪が降っているのだろう」と言います。
そして、富士山の高さは比叡山を二十ほど重ね上げたようだ、形は海浜で製塩する時に用いる砂山のようだ、と例えている様子がつづられています。

また、同じく平安時代に作られた「竹取物語」も、富士山が出てくることで有名です。
かぐや姫と結ばれなかった帝が、「かぐや姫のいないこの世では永遠の命など必要ない」と嘆き、遣いに姫からもらった不老不死の薬を焼くよう命じます。
この薬を焼いた場所こそ、月の都に最も近い富士山の山頂。帝の使いが大勢の兵士を連れて山に登ったため、士に富んだ山、ということで「富士山」と名付けられたということにこの物語の中では結論付けられています。
その薬の煙が今も立ち上っているのだという内容で、物語は締めくくられていますが、これも当時富士山がまだ噴火を繰り返していた様子を、ストーリーに昇華して描写したのかもしれません。

もちろんこれ以降も、日本の書物において、富士山は多く描写されていきます。
日本の富士山信仰が長い時を経てもなお色褪せずに伝わってきていることがわかります。
しかし、それ以前に書かれた古事記や日本書紀には、富士山はまったく登場してこないと言われています。万葉集には数多く歌われている富士山が、なぜ日本を代表する史記に全く出てこないのでしょうか。
平安以前に富士山について書かれた書物は、本当になかったのでしょうか。

実はかつての日本の歴史や富士について書かれた書物が一つだけ存在します。
「宮下文書」です。
別名「富士古文書」とも呼ばれ、神武天皇が現れるはるか以前の超古代の歴史や伝承が記載されていたとされる書物です。富士山麓の「富士高天原王朝」伝承についての記載がその中核で、神代文字で記されています。
富士吉田市に在住の浅間神社宮司宮下家に代々伝わる古文書で、宮下家の棟梁によって人君されていた写しの一部が、明治時代に公開されました。これには日本の国の誕生から神々の系譜などが書かれています。正史とはかけ離れた文書とされており、いわゆる古史古伝の代表例に挙げられます。ギリシャ神話に近いような話が入った書物と考えられていますが、火のないところに煙は立たず、真偽のほどはまだ解明されていません。
そこには、富士山麓、そして高天原を舞台にした日本の神々の栄枯盛衰が記されています。
その本によると、日本を人間の天皇がおさめるずっと前の時代、神々は富士山麓に王朝を作っていたといいます。神々のすったもんだも描かれているのですが、富士山噴火の記録や、富士五湖誕生についての記録が詳しく正確に書かれており、一概にすべて作り話とは言い切れない内容となっています。
いずれにしましても、富士山をエッセンスとしてとりいれるだけの平安時代に書かれた物語とは一線を画した、富士山がメイン舞台の話です。

もちろん歴史書としてはまだ機能していない「宮下文書」ですが、私たちの習った日本の歴史が始まるはるか前の神々の生きた時代に思いをはせるには、とても興味深い一冊です。
私たち日本人のDNAに刻まれた富士山と神の結びつきが一層深まり、より富士山のミステリアスな魅力がみえてくることでしょう。

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