西洋ジャポニズムと富士山

日本人は、富士山を我が国のシンボルであると同時に、人知では計り知れないミステリアスさを感じながらともに生きてきました。古くから自然崇拝・山岳信仰の象徴としての「霊峰」と称えてきました。そんな壮麗で神秘的な富士の姿に魅せられた江戸時代の画家が、葛飾北斎や歌川広重などの浮世絵師です。富士山を題材にした風景画シリーズである「冨嶽三十六景」などで知られている彼らの浮世絵は、浮世絵師亡き後の19世紀後半のヨーロッパを中心に、大きなブームを巻き起こします。

それが、西洋の「ジャポニスム」です。

19世紀初頭のヨーロッパは、中国美術に影響を受けた「シノワズリー」が、新しい美意識として浸透していました。そんな中、同時期の日本美術は、鎖国の影響もありほとんど知られていない状態でした。

そんな時、フランスの銅版画家のブラックモンが北斎の描いた作品に触れ、日本美術が流行するきっかけとなったのでした。アシメトリーや何も描いていない背景の余白をわざと作る構図、そして、多色刷りの版画による色鮮やかな色彩表現などの日本独自の美術表現は、当時の外国人画家に衝撃と大きなインスピレーションを与えることになりました。

そして、それが作風にも影響を与えていきます。

その先駆けとなったのが、近代絵画の父と称されるマネやモネ、ドガ、セザンヌらの印象派の画家たち。さらに、それに続いたゴッホやゴーガン、ロートレックも浮世絵に傾倒した作品を次々に発表するようになります。日本美術の画家のみならず彫刻家や工芸家、音楽家までを巻き込んでいきました。

例えば、フランスの画家モネは、自宅の庭に太鼓橋のような日本風の橋をかけるほどの日本愛好家であり、同時に熱心な浮世絵のコレクターでもありました。

32歳の若さで亡くなったカミーユ夫人が扇子を手に赤い着物を着ている場面を描いた2mを超える大作「ラ・ジャポネーズ」は大変有名です。「ラ・ジャポネーズ」は見返り美人の画風の影響を色濃く受けており、描かれているものも着物や扇子、団扇などが確認できます。

また、オランダ出身のゴッホは、「タンギー爺さん」という画の背景を浮世絵で埋め尽くすほか、歌川広重の画を油絵で模写するなど積極的に浮世絵の技法を学び、西洋絵画の技法と融合させながら自分の作品として昇華させていきました。

さらに、音楽界においては、フランスの作曲家ドビュッシーの作品に、北斎の「冨嶽三十六景」に影響され作曲されたものがあります。
ドビュッシーの代表曲の一つである交響曲「海」です。葛飾北斎の「冨嶽三十六景・神奈川沖浪裏」に影響を受け、作曲されたと言われています。初版の表紙には「冨嶽三十六景・神奈川沖浪裏」が採用されており、ドビュッシーの自室にも同じ北斎の絵が飾られていました。

著名な芸術家たちだけでなく、日本の工芸品や和服などがヨーロッパ社会全体に浸透し始めたのもこのころ。

日本の浮世絵師が描く日本の風景は、海を越えてヨーロッパの文化に大きな影響を与えるほどのパワーを持っていたのです。

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